バイク屋さんだとバイクが趣味・・・と
思われがちだが、
確かにバイクは好きだが
ライダーの好きとちょっと違うかもしれない。
このブログの愛読者の方にはバレていると思うが(笑)
お姐は製品としてのバイクではなく、
バイクそのものの機械的構造が好きなのである。(ただのヘンタイです)
バイクは小宇宙だ。
燃料は必要だが、機構として単体で完結している。
答えは目の前のバイクの中にすべて詰まっているのである。
バイクが壊れた理由は最終的には、故障部位をあけてみれば
一目瞭然であるが、すべてのバイクをバラバラにできないので
乗り手の話をよく聞くことが原因究明の時間短縮になる場合もある。
お姐が思うに、よく似ているのが人間の構造だ。
生身と機械という大きな違いはあるが
やはり人間も小宇宙である。
一体なぜこの人はこういう発言をするのか?
何故こういう思考パターンになるのか?
答えはやはり目の前にある。
ただ、バイクと人間の決定的に違うところは
心が存在することである。
だから話をしてみないとわからない。
お姐の隠れ趣味は
カッコよく言うと「人間分析」
ようするに人の詮索?(*^0^*)←コラ
この趣味のいいところは、仕事中だろうが、道を歩いていようが
買い物をしていようが、人間がいる限りどこでもできることである(*^0^*)←デビルイヤー炸裂
「未必のガンコ老人になる」
これが最近の研究テーマである。
お姐の持論として、ガンコ自体は決して悪いことではないと思っている。
ガンコということは、よくいえばこだわりがある、信念がある
という意味でもつかわれている。
お姐の目標はそれを「頑固」と評されず、スレスレのところで
どうガンコを演出するか、、というところにある(*^0^*)
老人になるからには、やはり是非とも「ガンコ」の称号は手にしたい(*^0^*)←あほ
例えて言うなら
① 面と向かって「ガンコだね、お姐は。あはははは」
② 陰でコソコソ「ほんとやだね、お姐は頑固で。」
・・・の①なかんじ?(*^0^*)/
そのためにはガンコの観察が必須なのである。
お姐父はお姐母いわく既にガンコ爺の領域に入っている。
が、実際話すと実はそうでもない。
オリンピックまで生きられたいいな、と謙虚に言っている一方で、
新しいビジネスモデルをギラギラと日々考えている(恐るべし老人)
が、実際に年齢に関係なく「頑固」な人もいる。
若者の時から知っていて「頑固」になっていく
過程をみることもある。
その過程を見ていると
10代の少年がツッパリになっちゃった
理由と根底が似ている。
人は人から必要とされることで自分の存在意義を
見出す。
ただ、意識して、人のためと思ってやることが
評価されるかどうかは、残念ながらイコールではない。
むしろ自分を殺して人のためと考えた行動をとっていると
人間の構造上、フラストレーションが溜まり爆発し
周りに迷惑をかけることになる。
その結果、リアル「頑固」、「偏屈」等の称号が与えられてしまうようだ。
ぢつは、リアル「頑固」、「偏屈」と呼ばれる人ほど
裏を返すと、人から愛されたい気は満々、優しく不器用な人達
なのである。
お姐の総論?
お姐は、、、、
自分のために楽しく生きる(*^0^*)/←結局、何も変わってない
ガンコの研究?・・・の巻
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